今に伝わる鎮魂の念仏踊り
稲茎神社の境内末社。
旧暦の八朔(8月1日。現在では8月の最終日曜日)に境内で行われる「鉦踊り」は、広く県内外にその名を響かせています。
この踊りは、戦国時代・天正5(1577)年に土佐の長宗我部氏の侵攻により自刃した阿波白地(はくち)城主の大西備中守元武(もとたけ)の霊を慰めるために、江戸時代・元禄年間(1688~1704)頃からはじまったと伝わる念仏踊りで、昭和43(1968)年に県の無形文化財、同52(1977)年に無形民俗文化財に指定されました。
頭屋(当屋)に一同勢ぞろいしたあと、露払いの猿田彦、頭屋主人の先導で鉦、太鼓の音を響かせながら神社に向かい、境内で総勢22名(昭和40年代前半までは23名でしたが、踊り手が減り、現在では赤青の猿田彦のうち青がいなくなってしまいまいした)の踊り手が一庭50分もかかる踊りを三庭披露します。昔はなんと前日から踊りはじめて全部で三十三庭も踊ったというから驚きです。鉦太鼓の三拍子に合わせた激しい踊りと「なむあみどーば(南無阿弥陀仏あるいは南無大御堂前の転訛といわれています)」の唱和は独特です。
今に伝わる最も古い史料は、天明6(1716)年に新宮村青山の東柳弥が寄進した鉦です。
[霧の森からのアクセス]車で20分(ルートマップ)